先日、スキルス胃がんで胃全摘したユッキーです。
スキルス胃がん闘病記内の「抗がん剤治療」では、スキルス胃がんで胃全摘してからの治療の様子を記していきます。前回のブログでも書きましたが、治療方針が定まったので、そこから少しずつ動き始めています。今回の記事では治療方針について、そして社会復帰について書いていきましょうね。
これからの治療方針が決まった。
スキルス胃がん pステージ3Aのわたし。これからの治療は、錠剤の抗がん剤・TS-1服用のみで進めることにしました。
標準治療としては、TS-1+点滴の抗がん剤(ドセタキセル or オキサリプラチン)という再発率の低い治療を用いることと思います。ですが、いずれの点滴もわたしの体に合わなそうで、主治医やお友達のラードクと相談し、TS-1の錠剤に絞って治療することになりました。点滴を入れないと、再発率はちょっと上がっちゃうんだけどね。
この先は服薬と並行して、定期的なCTや血液検査を行なっていきます。そこで異常が見つかった場合は治療方針は変わるでしょう。それまではTS-1のみで進める予定です。再発や転移がなければいいのだけど、健康な人でさえも未来のことはわかりませんから。早期発見と対処療法で生きていくしかありません。
やっと治療方針が確定したわけですが、ここまでこれたのは、主治医をはじめとする医療従事者の皆さま、そしてお友達のラードクのおかげです。わたしの命を繋いでくださったこと、本当にありがとうございます。おかげで食べ歩きと推し活ができるわけです…!!
有給休暇・病気休暇・病気休職を使い倒した。
これまで、わたしは病気休暇と病気休職でお仕事をお休みしてきました。
人事担当に何度か説明をしてもらったのですが、いまだ病気休暇と病気休職の違いを理解できてません笑。簡単なところで、病気休暇は通常通りに給料が振り込まれ、病気休職はお給料が振り込まれない代わりに傷病手当金の対象になる、という理解です。細かいことを端折ると、そんな感じかなと。
わたしの場合、急に入院・手術がトントンと決まった4月は全て有給休暇とし、5月は病気休暇、6月から病気休職に入りました。
勤続年数や所属企業によって異なると思いますけれど、わたしの場合、お給料が発生する病気休暇は1ヶ月、無有の病気休職は6ヶ月でした。
仕事を休んで何をしていたのか?
4月中旬から11月末までフルカウントすると7ヶ月半ほど。この間、わたしが何をしていたのか。箇条書きで洗い出してみました。
- 手術後の体調回復に充てた
- 手術1ヶ月後をメドに術後補助化学療法を開始
- 体調不良で終日昼寝
- 大量脱毛に涙目
- 手術3ヶ月までは食事面をセーブしていた
- 手術3ヶ月後からは食べ方・食べ物のチャレンジをし始めた
- 食道に詰まって吐いた
- 基礎疾患を有する者になってしまったが故の複数ワクチン接種
- 生活リズムを整えようと意識する
- 起きてられる合間に闘病ブログとか寄稿とか
- 早期ダンピング・後期ダンピングを体験する
- 細々と職場の方と連絡・オンラインMTGをした
- 手術後5ヶ月目でふたつめの抗がん剤を点滴するが、合わなかった
- 体調不良で終日昼寝
- 水下痢がひどくてお尻の薬を処方してもらう
- 術後半年を迎えてのヘビメタ遠征
- 空弁を詰まらせ、帰りの飛行機で吐く
- 術後半年が経過し、手術前と比べて-10kg前後になっている
振り返ると、比較的ワイルドな闘病期間ですよね… 普通の患者はもっとスローに進めているものと思われます。が、わたしはいち早く「普通の生活」に戻したくって、早め早めの進行管理だったかもしれません。これ、全然マネする必要はないですし、オススメしません。無理なくご自身のペースで進めましょう。
胃全摘、よく考えると結構ツラい。
ワイルドな術後生活を暮らしてはいるものの、ツラいものはツラくって。先日も、精神的にドツボにハマってました。
振り返るとポジティブなチャレンジも多かったけれど、ネガティブ期もしっかりありました。抗がん剤による体調不良は、自分ではどうすることもできないアンコントロールですから、ただただ横たわるしかないわけです。するとネガティブ思考に陥ります。
副作用が抜けて体調がよくなったなーと思ったら、今度は副作用期間に落ちた体重と体力に気付き、沖縄の真夏の紫外線にこんがり焼かれて体力消耗&見慣れぬ部位にシミ・ソバカスの大量発生… 気付いたらホクロ大のシミが増えました。勘弁してほしい。
食道詰まりもしんどかったなぁ。何気なく食べたものが詰まりまくってました。トンカツサンドが詰まって、60分ずっと苦しむとか。焼肉が詰まって、トイレでジャンプして7分で切り抜けたりだとか。いまだコントロールが難しいところの、詰まりまくりスティーです。
これは食べられる、これはダメという傾向はつかみ始めているけれど、わたしの場合、その時の食道コンディションや食べ合わせで大きく変わります。なので、明確に安心して食べられるものは、まだよくわかっていません。持ち運び用のキッチンバサミも買いましたが、これは県内でしか使えません。飛行機で刃物はボッシュートだもの。
早期ダンピングでお腹がくだるのはもはや定番化しているけれど、これを他人に伝えても、まったくピンとこないそうで。糖質をたっぷり食べる→お腹下す→続きまくるとお尻が痛い、みたいな流れになって困っています。お腹がくだる故に米・麺類・パンなどは食べにくく、かといって炭水化物を取らないとどんどん体重減っていき、お腹も常に減っている状態で。
そんなわけで、少し前から低糖質な低GI値の食べ物にチャレンジ中です。さて、どうなることやら。
とはいえ、できることだっていっぱいある。
以前と同じように完全フリーダムとはいかずとも、できる範囲で楽しめることだってあります。
たとえば、体調の良い時(白血球や好中球が多く、抵抗力があるタイミング)には、お刺身やお寿司を楽しんでいます。胃がないので、胃酸で消毒できないわたしは、好物の生魚を食べるのも一苦労です。食中毒と隣り合わせで味わっていますが、ウマいものはウマい。そして刺身は食道に詰まりにくい。イエッス‼️
それだけでなく、脾臓摘出したことで一部の免疫機能を失ったわたしは、基礎疾患を有するものになりまして。それで、これまで以上に感染症にかかりやすくなってるはずなんですよね。だけどワクチンさえ打てば感染を避けられたり、感染しても症状を軽く済ませられることが科学的にわかっています。
さまざまなワクチンを打ちながら、ライブ会場まで足を運んで推し活を楽しみました。アドレナリン効果で3時間、しっかりスタンディングライブを楽しんで。あのライブハウスに戻ってきた瞬間の感動。推しのステージングを間近に感じられる幸福感。推しがいる限り、わたしは負けんぞと思いました。だから推しには、沖縄が誇るMURASAKIのように長く活動してもらわんといけません。
少し前には、本部町で登山にも挑戦しました。わずか5分10分の垂直に近い登り降りで頂上を目指しましたが、登頂直後からほぼ1週間、歩行困難なほどの筋肉痛に見舞われました。こうなることは予想できましたが、それでもチャレンジしたかったんですよね、どれだけ体力が落ちているか把握するために。しっかし歩行困難は想定外でした。やばい、体力ない。運動しないと。笑
この闘病ブログも、他メディアへの寄稿も、ひとつの新しいチャレンジだと思っています。細々と続けられればいいなぁと思うし、メインのグルメブログだって更新を止めるつもりはありません。なぜならば、こうして発信することがわたしの生きる糧になっているからです。
自分を構成するいくつもの要素があり、それをこれまで通り継続すること・大事に育成することが、わたしの生きがいです。そういうわけで、子育てだって頑張らねば。成長とともにキャラクターが濃くなっていくお子サマーとの格闘は、これからしばらく続いていきます。
時間がかかるって理解されにくい印象だなぁ。
…で、なんの話でしたっけ。あっ、手術後の治療方針についての記事でしたね。笑
治療方針の確定まで、わたしのケースでは5ヶ月近くかかったように思います。まずはTS−1系の錠剤服用から始まり。その後に試した、TS-1と並行の点滴・ドセタキセルの副作用で倒れ。主治医がわたしの体力回復を待つ間に、「復職期間が迫っているから」と次の点滴を試してみるも、オキサリプラチンの副作用も強く出て、また倒れて。ここまで5ヶ月もかかりました。
ドセタキセルがスムーズに打てる人もいれば、ドセは駄目でもオキサリプラチンが大丈夫な人もいるし、わたしのようにドセもオキサリプラチンも駄目な体質の人間もいるわけです。そこに至るまでの道のりは人それぞれだし、主治医の外来タイミングや方針もあって、スケジュールが全く読めませんでした。
退院後、職場や周りの皆さんから「いつごろ復職できますか?」と何度も声をかけられてきたわけですけれども、その都度お伝えしていたように、復職時期なんて全く読めませんでした。
手術後は「胃全摘したけど、わりと元気!」という印象を残したくって、無理のない範囲でフツーに振る舞ってきたし、反面SNSで体調不良を投稿することもよくあったりして。これを全てを知ってくださっている方ばかりではないですから、もちろん、復職のスケジュールを確認されるのもやむなしとは思います。
ですが、治療方針が確定しないと、ある程度の先読み・スケジュール立てができません。そのため、お仕事関係の皆さんをお待たせして、ほんとに申し訳ありませんでした。おかげさまで治療方針が決まったので、やっと社会復帰するメドがつきそうです。
そんな感じでですね、少しずつ、社会に馴染めるよう準備をしていこうとしています。やっと涼しげになった秋の沖縄から、最近の様子をお届けしました。
終わり。