雑記

お母さんだって自分の部屋が欲しい。健全に生きるための正当な要望だ。

お子サマーの爆誕後、しばらく経ってからほとんど毎日一緒に寝ている。小さな頃は夜中の授乳やおむつ交換が楽だという理由だったが、よく考えると今住んでいる家は部屋の数が多くなく、子どもの部屋はおろか、わたしの部屋などはない。もともと夫婦の寝室にしていた部屋は現在トーチャンが占領する形になっているし、この先、お子サマーが「部屋が欲しい」といい出すことを予測すると、お子サマーと寝ている部屋をあてがうしかなさそう。となると、「あれ?今の家だと、寝てる部屋を追い出されて、わたしだけの空間って作れなくね・・・?」と思い始めてからタイトルです。

散らかった部屋でくつろぐひよこ

我が家には部屋が足りない。そう思っているのはおそらく私だけで、トーチャンは全く考えていなかったと思う(一応、度々アピールはしている)。リビングはお子サマーのおもちゃに溢れ整理できていない状態のため、常に視界がゴチャゴチャ。寝室は二手に分かれ、わたしがお子サマーと一緒に寝ている状態。これがまた厄介で、季節が夏に近づいているから寝苦しいのかお子サマーの寝つきが悪く、わたしの入眠を妨げる。また寝返りも酷く、たびたびわたしの体にぶつかってきては、夜中に起こされる。本人に悪気があってのことではないと理解しているけれど、人間の三大欲求を邪魔されるとそりゃあ日々のパフォーマンスが著しく下がるのも致し方ない。と思うのはわたしだけで、周りはそれを理解できないという人生そんなもんだ。

さて、荷物の観点・睡眠の観点から、わたしは自分の部屋が欲しいと考えている。完全自分だけの部屋がほしいと思ったのは、お子サマーが生まれてから。トーチャンと二人だけの時には思わなかったので、いくら可愛くてもお子はお子、わたしはわたしだと切り分けて考えているのだろうと思ったりする。

育児世代の中で「お母さんにも部屋が欲しい」と考えているのはわたしだけではなさそうだ。ネット検索すればその手の話がゴロゴロ出てくる。思い返せばうちのおかんも部屋がなかった。リビングとキッチンが彼女の城で、いつもオープンな目に晒されていた状態は、果たして苦ではなかったのだろうか。昔の人なので何も言わないだけな気もするけれど、わたしだったら苦行だろう。自分の住む家でトイレとお風呂の短い時間しか自分ひとりになれないのだから。

人の親となった今でも時々「あ〜〜〜〜!だる〜〜〜〜!」と布団に突っ伏したくなるが、お子サマーやトーチャンの目に晒されるオープンエリアでの突っ伏すのは、メンタルの回復に時間を要する。一人になれる時に家の外に出がちなのも、決して行きたい場所があるからではなく、家に居場所がないから出ざるを得ないのだ。長湯するのも、長湯を口実に一人時間を満喫したいだけなのだ。途中、ノックもなく無邪気に「カーチャン!」とドアを開けるお子サマーにイラッとするのも、結局一人時間の満喫を中断されることによるもの。つまるところ、一人の時間・一人の空間を大事に考えるわたしの思考回路が、自分の部屋を求めている気がしてならない。

もし自分の部屋が持てたなら、若かりし頃のあんサマー等身大ポスターやサイン入りポスターを貼って、CDラックも新調し、完全ヲタ化しようと思う。真夜中に頭突きや蹴りを食らわず朝まで眠れるし、お犬サマーをもふもふしながら眠ることもできる。なんならキッチンパントリーとウォークインクローゼットのある家に住みたい。そんな想像を膨らませながらも、引っ越しの予定は全くないのが現実なのであった。

※こちらは0時と2時に蹴られて起こされ、三度寝ができそうもなく、眠気を誤魔化すように書いた文章です。

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