お子サマーが1歳になるかならないかのあたりから、「あたしは子育てに向いていないんだろうな」と思うことが増えてきました。
それは、精神的な弱さだったり。
子育てと平行してやりたいことがあり、100%向き合った育児ができていなかったり。
肉体的にも精神的にもヘトヘトだったり。
外に出ることでしかモチベーションを保てなかったり。
100点満点の育児は最初から考えていません。80点くらいを目指して、お子サマーが元気で死ななければそれでいいと思うんです。
先日、近年稀に見るPMSの酷さで1週間くらい鬱々としていた時に、「こんなカーチャンに育てらているお子サマーはかわいそうだ」と思ってしまいました。文字通り生理現象ですから、鬱々とするのも仕方がないんです。いや、対処する方法はあるけれど、そこまでする必要あるのか?と足が向かない自分の怠慢のせいなのかもしれません。それも含めて、お子サマーがかわいそうです。
こんな状況ですから、二人目など考えもよりません。もう少し正確に書くと、子供は可愛いのであと1人2人は欲しい。でも年齢的なことに加えて、これ以上自分の時間がなくなってしまうのを考えると、怖くて考えられない、というのが正しい表現です。
誰かの時間軸で生きていると、自分がアレもしたいコレもしたいと思っていることが、ほぼほぼ出来ずに1日が終わってしまいます。24時間、一体何をしていたのか。育児をしていたにしろ、細かく思い出せないことも多くて、ほんとにあっという間に24時間が終わります。育児をこなすために、自分を取り戻すためにひとり時間を設けたいと考えています。
おもちゃのラッパでぶん殴られたり、急に頭突きされて唇から血が出たり、鼻の穴に指を突っ込まれて痛かったりしても、子供ってかわいいもんです。だけど、そう思い続けるには母ではない自分を取り戻す時間がなければ難しい。気がつけば1年そうしてやってきました。振り返った時に、「これでよかったんだろうか?」とふいに子育てに向いてないんだろうなと思ったのです。
こんなあたしにも、ニコニコで抱きついてくるお子サマー。ギューッとし返しながら、心の中で「何にもしてあげられないカーチャンでごめんね」と思ってしまうのでした。