先日、スキルス胃がんで胃全摘したユッキーです。
5年生存率を上げるブログ内の「わたしとスキルス胃がん」では42歳でスキルス胃がんになり、胃全摘の手術を受けることになったわたしが感じたこと、考えたことなどを記録していきます。今回は胃がんの診断を受けた際の家族のお話。夫氏ことご主人サマーの様子を、わたしの視点からまとめてみます。
生検結果待ちの時の夫氏
まずは、そろそろ診断確定するであろうという頃のご主人サマーの様子です。闘病記でいうと、ちょうど生検結果が出る頃の記事のあたりです。
わたしが胃カメラの検査をした直後、「どうやら胃の様子がおかしい。病気かも」と伝えたところ、ご主人サマーは「ほーん」くらいで特段気にする様子もなく、そもそもの関心がないのか、先方からの質問はほとんどありませんでした。
胃カメラ検査の際にとった生検を病理検査に出し、検査が出るまで10日ほど必要だと聞いていました。わたしは結果が出るであろう頃合いでドキドキしていたのですが、興味関心が低そうなご主人サマーから「先生から電話あった?」とLINEが来た時には、ちょっと驚きさえありました。気にしてたんかーい!ってね。
そして自分の緊張感の気晴らしのため「あなたは現状の気持ちはどんな?」と返信をしたところ、「振られるだろうなとわかっているけど、自分のけじめのために告白したら、『返事は1週間待って』と言われた時の2日目の焦燥感」と返ってきました。さすが独特な表現力だなと賞賛しつつ、一方で余裕のないわたしは、長ったらしくて伝わりにくいぞそりゃあフラれるわ、とも思いました。
胃がん確定後の夫氏
スキルス胃がんが確定した後も、ご主人サマーから病気や入院、今後についての質問や相談はほとんどなく、相変わらず興味関心は低そうだなと思っていました。
例えば夕食後、わたしがPCでカタカタと胃がんの検索をしている横で、ご主人サマーはごく普通にお笑い番組の録画を見ているのです。病気の情報がゼロベースなわたしは、正確な知識武装を少しでも増やし、そして様々な取捨選択をしていこうと思っているのに、目の前のご主人サマーにはその意識が全くないように見えました。
それでわたしは「この人は基本的に自分大好きで、自分にしか興味ない人だからなぁ」と思い、特に気にすることはありませんでした。
主治医の説明を直接聞かない夫氏
入院の前と退院直前の2度、今回の手術に関する話を主治医と直接する場がありました。結果的に、2度ともご主人サマーは病院にやってきませんでした。以下、詳細です。
1度目は、本来であれば病院で話を聞く予定ではありました。しかしお子サマーの急な体調不良と重なり、その日はご主人サマーが家庭保育しつつ、主治医からの事前説明の時間だけLINEのビデオ通話で繋ぐ、という方法を取りました。これは仕方がありませんね。
2度目は手術後の説明の場でした。お子サマーの体調不良もなく、病院へ行こうと思えば来れたはずですが、結局LINEのビデオ通話でこなしました。もしかすると仕事が忙しかったのかもしれません。
いずれも仕方ないなと理解も示しつつ、反面、家庭に効率化を導入しすぎるのは良くないことだなと思いました。仕事とはまったく違うわけで、家庭には効率化に用いることのない「感情」が付きまとうのですから。
この辺りの「俺の考え」と「他人のわたしの考え」を一緒くたにされるのは、好きで病気になったわけではないわたしには今も理解できません。仕方ないので、落とし所は「育ちの違い」として処理しています。育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ的なセロリのアレです。まさやん元気かな。
手術当日、二日酔いで吐いてた夫氏
手術当日、病室にいるとご主人サマーからLINEが届きました。
「おはよう。改造手術、頑張って!」
うん、これはまだわかる。
「こっちは二日酔いで吐いたよ、今。」
すまん、こっちは全然理解できない。
というのも、わたしの手術当日、ご主人サマーは「外せない仕事」のため県外出張していたんですよね。ご主人サマーは県外、わたしは病院。お子サマーの面倒を見るのは、北海道からサポートに来てくれたおとんとおかん。
おとんとおかんの負担、並びに寂しい思いをさせているお子サマーがいるという中で、たとえ飲むのも仕事のうちだとしても、出張先で二日酔い及びゲロッてるのは、いかがなものか。これもセロリで処理したけれれどさ。
ていうか、今頃思ったけど、改造って現状より機能改善するものじゃないの?こちとら機能制限が増えて改良はされてなかったわ。
一度もお見舞いに来ない夫氏
以前、鎖骨骨折で入院手術した時も、出産のために入院した時も、ご主人サマーはお茶飲み相手・雑談相手的なお見舞いに来てくれたことはほぼありませんでした。必要最低限の荷物を持って来てくれて不要なものは持ち帰ってくれたけれど、本来の意味のお見舞いっていうのは、それだけじゃないと思うんだよね…
で、そんな過去の経験から、今回も一度も来ないだろうし、入院前からなんでも一人でやろうと調べて準備しました。一度だけ、入院準備で足りなかった荷物(タオル)を持ってきてくれたことがありました。これにはとても助かりましたが、受け取りは看護師さん経由だったので、顔は合わせていません。
ちなみにご主人サマーがお見舞いしたくない理由、それは「辛気臭いから」だそうです。これもセロリ案件です。
ベロンベロンな夫氏
わたしの退院日のあたりに那覇市内で屋外イベントがあり、そこでご主人サマーはベロンベロンになったそうです。
初日は子連れで参加し、帰宅後の様子を見ておかんが「児童虐待だ」と呆れるほどに酷かったそうです。想像できるよね〜!
2日目はわたしの退院当日だったのですが、この日も酷く… 酔って帰宅後、何故かわたしがドヤされ、それを見たおかんがブチ切れて、正座させて説教を食らわせていました。本人は「記憶がない」とのこと。政治家爆誕!
人は変わる生き物です。わたしはこの10年で様々な経験を通じて、大きく変わった部分があると思います。もちろん変わらない部分も多くあるんですけれど。おかんは何度も「よく離婚しないね、わたしは無理だわ」というので、毎回「それ、いろんな人に言われる。笑」と返していました。
セロリって筋が強いから折れずに頑張ってるけどさー、胃全摘したワイ的には、繊維質の多いセロリは食べられんのですわー。
とはいえ、普段とは異なる様子も
…てな感じで、相変わらずの様子なものですから、わたしがスキルス胃がんで胃全摘という大きな手術をしても、てっきり別に平気なんだと思っていました。
それでいてこんなしおしおとヒヨッたブログを書くんですよ。これ、みなさんはもう目にされましたか?
確かに「日曜なのに月曜だと勘違いした」とか「お子サマーの保育園お迎えを忘れた」とか「今日の日付を間違えた」みたいな細かな凡ミスは短期間で連発していて。それはそれでわたしのスキルス胃がんの影響も若干あったのかもしれないな〜なんて申し訳なく思っていました。
でも、胃カメラから手術入院・退院までを振り返るに、ヒヨッたブログにわたしは「ナンダカナー」と思うわけです。なんせ上記のようないろいろがありましたから。
無駄に不安を出さないところには助けられた
ですが、連日のように「大丈夫なの?」だとか「どうなっちゃうの?」だとか、無駄に言葉にしないところにはとても救われました。今ですら先読みができないってーのに、診断前後に不安な言葉をしつこく投げかけられていたら、わたしは「しつこい!!!」とブチキレていたと思います。性格上「わたしもわからんのに、質問すんな!めんどくさい!」って思っちゃう。笑
なもんで結構浮き足立ってたことも多かったかもしれないけれど、現在進行形の当時は「この人、全然動じなくてさすがだなぁ」と思っていたんですよね。いつもの調子で生活してくれること、そしてそっちに引っ張られて、わたし自身も普通に生活できることにとても感謝していました。
病気が確定するまで余計なことは考えず、病気が確定したのちも「焦っても仕方ないし、専門の医師に任せよう」という冷静なスタンスはわたしも同じで、方針としては同じ方向を見ていたはずです。が、セロリ的なものはどうしようもないですね。いまから矯正しようと思っても、この先50年くらいかかるだろうし、スキルス胃がんとか関係なく天に召されそう。笑
これからしばらくは闘病は続くので、引き続き細かなところのチューニングをしつつ。まずは元の生活に戻れるよう食べる・飲むのリハビリや、抗がん剤をお菓子ゼリーと理性で流し込むよう頑張ろうと思います。
終わり。