先日、スキルス胃がんで胃全摘したユッキーです。
スキルス胃がん闘病記内の「診断されるまで」では、わたしがスキルス胃がんと診断されるまでの流れを記録していきます。胃カメラを受けたその日のうちに総合病院にまわされたのですが、その後、紹介先に初診で行く前の数日が最も落ち込みました。この時の心理状態や、手元で確認したり調べたことをまとめます。
鬱々とした日々
胃カメラの鎮痛剤が抜けてから、冷静になったわたしは途端に不安定になりました。死ぬかもしれない不安、やりたいことができなくなるかもしれない不安、人生全てが終わってしまったような絶望感… 来月のライブ遠征だって、諦めた方がいいんだろうか…
仕事の作業に集中している時はよいけれど、ふとした瞬間にぶわっと涙が溢れて決壊することが多かったです。
週末に大型公園へ車で移動する際も、「こんなふうに遊びに行けるのは、もう数えるほどしかないかもしれない」と考えるとツラくて涙が溢れました。常にこれで、いつもの当たり前がいかに煌めく存在だったのかを痛いほど知らされました。
そんな病み堕ちギリギリ手前で踏みとどまれたのは、いつも通りの日常を送らなければいけない子育てと仕事があったからだと思います。これがなかったら、たぶんヤケクソで酒を煽りまくって、久茂地川にでも転落してたと思うんです。笑
食事制限はなさそう
胃カメラ検査を行ったAクリニックからも、紹介先の那覇市立病院からも、この時点で特に食事制限はなさそうでした。ないってことは普通に過ごしてよいってこと。なので、いつものように揚げ物・辛いもの・脂っこいものなど好きなものを食べ、おいしくビールを飲みました。
胃カメラの様子が怪しいと伝えていたご主人サマーからは、一度だけ「ビール飲んで大丈夫なの?」と言われましたが、「禁止されてないから大丈夫じゃない?」と缶を傾けました。
お子サマーを想う
この春から小学校のお子サマー。わたしが胃カメラ検査をした直後、ちょうど保育園の卒園式がありました。3月、4月と子供関連のスケジュールが立て込み、とても忙しいことが予想されました。
また、お子サマー自身も不慣れで新しい環境に飛び込みます。それにより、いつも以上のストレスや見えない疲労感が募るはずです。それとわたしの病気が重なるなんて、なんてアメイジングなバッドニュースでしょうか…
平均寿命より早くわたしが死ぬ可能性が出てきました。このユニークな子どもの理解者がひとり消えてしまったら。その時この子はとても苦労するだろうから、わたしが死ぬ前に味方を増やしてあげねばならないと考えました。
胃がんで死んだ母方の祖母、胃がんになった父、そして胃を病んでいるっぽいわたし。せめて、お子サマーのピロリ菌は若いうちに除去させねばいけない気もします。
お犬サマーを看取れるのか問題
わたしは腎不全を患った老犬介護をしています。最悪、お犬サマーに看取られるのかと思うと、せつなくてやるせなくて、悲しくなりました。どこの墓に入るのかわからないし、実際、どちらが先に命尽きるかも先はみえないけれど、お犬サマーの骨とわたしの骨は一緒にしてほしいです。
加入している保険の確認
お子サマーが生まれたあと、わたしは生命保険と医療保険、そしてがん保険に加入しています。ふだん確認することの少ない保険証券を眺めながら、病気が確定した後にスムーズに手続きできるよう、契約内容を振り返りました。がんになったら払込免除になる特約をつけていることも確認します。
勤め先の福利厚生や制度を調べる
おおよその目安を理解した上で、人事と会話しようと思い、まずは勤務先の就業規則や福利厚生を確認。病気の際の休み方(病気休暇・有給休暇・休職)を確認。その流れで休職になった際の傷病手当金についても調査。場合によっては、高額療養費制度についても手配せねばだなぁ。
たぶん、スキルス胃がんだろうな
ネットでいろいろ調べていくうちに、「胃の壁が硬くなる、厚みがある、ピロリ菌が原因でなくとも発生する」といった状況から、「スキルス胃がんだろうな」と思い始めました。スキルス胃がんは5年後の生存率は低いそうです。腹膜に散らばるように広がってしまうこともあり、そうなると手術で取り除くことはできないそう。どうか手の施しようがありますように。