お犬サマーが亡くなった。
あの子の火葬中にこの記事の骨子を作り、その後に書き上げた。気持ちを放出するのに、取り留めなく、この場を使わせてもらおうと思う。16年と半年近く、一緒にいてくれてありがとう。
17歳5ヶ月の犬生だった
2007年3月に熊本県で生まれたお犬サマーと出会ったのは、横浜市のペットショップだった。2008年3月のことである。
売れ残っていたダックスのうち、1匹は確かブルータンで、もう1匹がチョコタンだった。どちらも売値は6万円。「あまり鳴かないのはこっち」と言われたのがチョコタンの、お犬サマーだった。
1歳とちょっとで飼い始め、6年半ほど関東で過ごした。桜木町やみなとみらい、赤レンガ、中華街あたりはよく散歩に出かけたし、散歩と称しながら野毛や関内あたりにもよく飲みに行った。桜のシーズンには大岡川沿いを歩いた。あの頃はお犬サマーにとっても嬉しい時期だったに違いない。地面に落ちている焼鳥を発見しては、勝手に拾い食いしていた。食べ物への執着がすごかったなぁ。
沖縄には10年いた。横浜とは比較にならないほどノミ・ダニに食われることが多く、一緒に寝る飼い主にも影響が出た。加えて高齢になっていったこと、横浜よりもペット可の施設が少ないことから、外出の機会がどんどん減った。
若い頃はお手やゴロンの指示も入ったけれど、年を重ねてからは頑固として指示を聞かなかった。飼い主はコミュ障、飼い犬はアホな頑固犬。とてつもなく面倒臭い組み合わせである。
お子サマーが生まれるまでは、まるで我が子のように過ごした。どこに行くにもできるだけ一緒で、屋外でのビアフェスや旅行なども同伴して連れて回った。北海道の実家に何度連れて帰ったかわからない。
お犬サマーが10歳になる年に、お子サマーが生まれた。新キャラの爆誕に興味津々で、最初は見守るように寄り添っていたけれど、お子サマーが1歳になる頃には尻尾を巻いて逃げるようになった。もともと、予測しにくい子供の動きを怖がる様子があったので、お子サマーのことも怖かったのだろうな。
シニア期になってからは1日中寝ていることが増えた。老化が加速すると1日20時間くらい寝ていて、以前のように玄関で帰宅を待っていることもなかった。姿が見えないなぁと思ったら段差を乗り越えられずお風呂場で困っていたり、玄関に落ちていたり。早寝すると思ったら5時くらいから室内を歩き回り、チャッチャッという足音で飼い主が起こされたり。
加齢と腎不全の状態がさらに進むと、目が見えずに家の中がダンジョン化して、思いもよらないところにハマッて抜け出せなくなっていた。壁とコットの間とか、おもちゃケースの間だとか、じーっと壁を見つめていたりだとか。わたしはそれを「おうちダンジョン」と呼んでいた。
亡くなる直前は歩くこともできず、犬用クッションの上で過ごしていた。時折ズリバイのように移動していたので、床ずれとか寝心地を気にしていたのかもしれない。最期の方は足先の毛がすべて抜けてしまい、人間の指のように形が顕になっていた。自由が効かない体にストレスを感じ、手足を舐め続けていたのかもしれない。
横になっても眠れずに目を開けていたので、頭をなでてやる。すると驚いたように首をぐるりと回す。その様子から、ほとんどもしくは全く目が見えていなかったのだと思う。犬にとっての加齢とは、どういうことなのか。考えるほどに、切ない。
飼い始めは3.8kgだったかな、成犬で4.2〜3kgをキープしていた。一番重たくて4.8kgまで増えた。シニアになり、亡くなる3年前からどんどん痩せていき、最後の計量は2.3kgの骨と皮の状態。もともとコンパクトなダックスだったけれど、比較にならないほど小さく、立ち上がれないくらいに軽くなってしまったんだ。
闘病と介護にかかった毎月の費用
「お金じゃないだろ」という人がいるかもしれない。いや、そんな綺麗事じゃあないから。お金は大事だよ。
胃全摘な自分の体は食事にお金がかかる。成長期のお子サマーもよく食べる。お犬サマーの闘病にもお金がかかる、食事療法にもお金がかかる、他にもいろいろと… ここ数年はほんと飛ぶようにお金が飛んでいった。
それでもお犬サマーとパーティを組むと決めたのは自分だ。だからお金がかかっても仕方がない。最後まで面倒を見ようと決めていた。
1ヶ月にかかったお金を書いてみる。腎臓病を抱えたシニア犬は多いかもしれないので、ひとつの参考にしてもらいたい。
腎不全の老犬の治療費(1ヶ月あたりの金額)
1:腎臓ケア療法ウェットフード1缶450円×20個=9,000円
2:おむつ代+ペットシート代:6,000円
3:ペット保険:5,000円
4:通院+皮下点滴代:3,000円×4回=12,000円
5:薬代:腎不全+食欲増進剤=6,000円
6:検査代:20,000円
1〜5は毎月必ずかかるもの、6は場合によってかかるものだ。1〜5だけざっと足し上げて、毎月38,000円はかかっていたらしい。端数カットで端折って入るが、だいたいこんなものだと思う。
Googleアルゴリズムの影響をモロに受け、ブログ収益がペンペン草なわたしからすると、相当シャレにならない金額だ。人生計画まじで狂った。検査やここに書いていない皮下注射による投薬も、かなりぴえんな金額だしさ。
ちなみに、お犬サマーが若い頃からアニコムに加入し、それを10数年継続してきた。わたしが加入していたアニコムのプランは年間の適用回数や上限金額が決まっている。だからわたしは、薬代・検査代が発生する時だけ使っていた。
お犬サマーの闘病代がいくら高くても、薬や点滴で緩和しないことにはゲーゲー吐いたりするんだよ。グッタリと具合悪そうで、可哀想に思えてね。そんなの放置できないよ。
とはいえ、可哀想だからってフルフルの最先端医療なんて、わたしごときの財力では無理だよ。だからどこかで線引きをしないといけない。じゃないと、病院側もどこまでも治そう、改善しようと、現在できうる最先端治療を提案してくれる。そりゃあそうだ、病院は治す・改善させる施設なのだからね。
だからわたしは、2023年秋に「治療しすぎる方針は避けたい。自然な形で最期を迎えるのはよいと思ってる」と、死を受け入れることを伝えた。お犬サマーにとって苦しくない程度の、そこそこの治療を選択したはずだ、たぶん。それでも後悔がないとは言えない。
何が正解かわからない。むしろ正解なんてない。だからわたしは強調したい。軽率に、ペットを飼うものではないぞ、と。そこに看取る覚悟はあるのか、と。
悲しくもあり、ホッとしつつもあり…
2021年10月下旬、よく水を飲む様子に気が付いた。
定期検診ついでに血液検査をすると、慢性腎不全と診断された。それからゆる〜く闘病を続け、3年近く通院した。毎週末、土日のどちらかは病院に行き、生理食塩水を皮下点滴して帰宅する。腎不全と食欲増進剤の薬も与えた。犬は猫の腎不全よりも早く死ぬらしい。そのわりに頑張ってくれたと思う。
ここ数年は耳が聞こえず、最後は白内障が進んで目も見えず、鼻の効きも悪くなっていたように見える。誰かがキッチンで調理を始めると、シレッと移動してきておこぼれを狙っていたのに、この半年ほどはそれも無くなってしまった。こちとらキュウリの端っことかカットして待ってたんだよ。今も待ってるぞ、早よこんかい。
一般ドライフードから腎臓ケア療法ドライフードに変わり、その後も腎臓ケア療法ウェットフード、それを口にしなくなった後は自家製チキンスープやお粥など口にできるものを食べてもらっていた。それもダメになるとちゅ〜るの出番だったが、1週間ほどで食べなくなり、いよいよ水もダメになり、2〜3日過ごした後、2024年8月12日に17歳と半年弱で亡くなった。
病人の自分的には、最先端医療でどうにか1日でも長く生きてやるという気持ちや気力は、毛頭ない。かといって痛いのはイヤだから緩和ケアぐらいはしたいなーと思っている。死ぬ日なんて前もってわかるものでもないから、介護する側の金額的・精神的な負担も理解できる。主な飼い主以外の家族にも負担が生じるのだ。
老犬介護が理由で、ここ数年は人間たち全員での外泊はなかった。だからわたし+お子サマー、もしくはご主人サマー+お子サマーというパターンで出かけていた。
お金の心配がなくなった。人間の家族だけで家を空けられるようになった。なんなら夏場のクーラー代も下がるかもしれない。ホッとした雰囲気を醸すご主人サマーは早々に「引っ越すぞ」と張り切っている。シニア犬を抱えることで、少なからず人間側には負担が生じていたし、それは家庭内でクレームとしてわたしに上がっていた。
言いたいことはわかる。だが待て、犬を飼っていると知っていてわたしを嫁にしたのではないのか。この点については、わたしはお犬サマーを守る立場でい続けたい。生き物を飼うと言うことは、そういうことなのだ。
死ぬまでと、その瞬間の様子
備忘録的に、亡くなった日の様子を書いておく。
朝8時。週末で、遅めに起床すると、お犬サマーは横たわった姿勢のままぼーっと目を開けていた。スポイトで水を与えるも嫌がり、50mlも含んでくれなかった。ちゅ〜るやホットケーキ、バナナにも無反応で、もはや舌の動きが悪すぎた。
日中は体をマッサージしたり、抱き上げて膝に乗せたり。でも終始ぐったりとしていた。そろそろかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そう思いながら毛繕いし、肉球まわりについた汚れを取って、綺麗にしていた。
11時過ぎ、ベッドで一緒に添い寝していると、むくりとお犬サマーは起き上がった。どうした、どうした?と体に手を回すと、お尻にべっとりとうんこ。おいおい、ベッド上で排便はやめてくれー。顔を覗くと、情けない顔をしている。本意ではないのだろう。大丈夫怒ってないよ、年を取ったら仕方ないことだよ、と大掃除開始。お犬サマーのお尻や手足も洗った。
しばらく様子見しつつ、14時半頃。撫でると手足がやけに冷たい。こんなに冷たいのはおかしいぞと変化に気付く。
15時、キッチンに立っていると「ケホケホ」と咳き込む音が聞こえる。様子見で近寄ると、お犬サマーは立ち上がっていて、その様子もまたおかしいなと思ったら、コテンと倒れたので支えた。そして、そのまま息絶えた。手足が震え、お腹からギュルルという音が二度聞こえた。胸に耳を当てても心拍が聞こえず、呼びかけても、頭を撫でても反応はなかった。死んでしまった。
その後も暫く撫でまわし、話しかけた。「ありがとう」と「ごめんね」しか出てこなかった。
ご主人サマーとお子サマーは外出中で、家にはわたしとお犬サマーのふたりだけだった。おかげでお別れする時間を取れた。休日の落ち着いたタイミングに逝くなんて、あの子は本当に飼い主思いの最高に良い犬だった。
24時間経たずに腐敗臭
どうやら亡くなった直後よりも、少し落ち着いてからの方が苦しいらしい。
死んですぐに「火葬場の手配しなければ」とインターネット検索した。そして、死後硬直の前に体を丸くし、手足を折りたたんで寝ているような体制にした。
その後、急に込み上げてくるものがあり、別室で嗚咽した。落ち着いて戻ると死後硬直が始まっていた。亡くなって2時間経過した頃だった。体が重く硬くなり、本当に死んでしまったのだなと改めて思った。腐敗防止のために体を冷やさねばならない。体に保冷剤を乗せて、タオルをかけた。
翌朝、火葬に連れて行こうと、キャリーバッグに移動させる。体にかけていたタオルを持ち上げると、普段とは違う嫌なにおいがした。どうやら腐敗臭だった。
においとは不思議で、腐敗臭だと気付くと「早く火葬しなければ」と急かされる気持ちになった。急いで家を出た。お犬サマーがお犬サマーの原型を留めているうちにお別れするのが良い気がしたのだ。朝一番に火葬の手配をしていたので、結果的に良い判断だった。
火葬の前に、もう一度、二度、三度、四度、五度と頭を撫でた。死んだ直後から家を出るまでガン開きだった目は、瞼が閉じてきていた。観念したか?そうか、わかった。お犬サマーがそうするなら、わたしもそうしよう。指先に毛の流れを感じながら、終わりなき撫で撫でにサヨナラし、火葬に入ってもらった。
2時間後、お犬サマーが手元に帰ってきた。ペラペラ、パリパリの骨となったお犬サマーは、真っ白なポテトチップのようだった。
また飼いたいか?と言われると、今はNOだ
死んだ後、一晩だけ家にいてもらった。通夜など意識してはいないが、なんとなく当日火葬は避けたかった。
よく、眠るような死に顔という表現を耳にする。確かに、お犬サマーも眠っているだけに見えた。いつもの定位置に、そのまま寝かせた形に置いて過ごしたからかもしれない。それもあって、ふと目線を向けては体を起こすのでは?と期待してしまった。もちろん、起きてはこない。
「老衰に近い死」だとか、「犬にしては大往生」とも思っている。そうやって納得したテイにしないと、喪失感が大きくてダメなのだ。
いまも部屋の中にお犬サマーの気配を感じる。よく横になっていた定位置では、踏まないよう気をつけてしまう。偶然物陰ができると、目で追って確認してしまう。もう骨壷に入っているのに。慣れというか思い込みというか、そういうものに左右されている。
お犬サマーは、シニア期の介護と闘病からくる介護が混ざっていた。早かれ少なかれ「生き物はこうなるんだな」という未来を見せてくれた。お犬サマーはいつもわたしに学びを与えてくれる。楽しいこともいっぱいあったし、エゴからくる自分の嫌なところもたくさん見えた。そんな出来損ないの自分に、あの子は見返りを求めない愛情や安心感をくれた。犬というものは従順で愛らしく裏切らない。最愛のパートナーだと思う。
お犬サマー以上の子はいないと思う。楽しい思いも、手に負えなことも、猛烈に叱ったことも、ぴっとり寄り添ってくれたことも、いろいろあって忘れ難い。犬となら裏表なく付き合える。犬は素晴らしいパートナーだ。だけど、5年生存率がどうなるかわからないわたしの体で、命という大きな責任は持てない。それ以外にも理由があるし、もうこの子以外はいいかなと考えている。
思い出すのは東日本大震災のこと
お犬サマーにまつわる記憶で強烈なのが、2011年3月11日、東日本大震災のことだ。
あの日わたしは午前休を取り、午後から都内で仕事をしていた。勤務し始めて少し経った頃、物凄い地震に遭う。横浜方面への電車は全て止まり、品川から川崎まで歩いて移動した。当時はスマホの普及率がまだ低く、わたしもまだiPhoneにしていなかったはずだ。ワンセグでTV中継を見ていなくて、22時頃になってやっと東北地方を飲み込んだ津波の映像を目にした。
川崎から鶴見に移動し、そこから路線バスでどうやってか東横線に到着。馬車道駅あたりまで移動し、やっとのことで自宅に戻ったのは25時か26時くらいだったと思う。家具に潰されて死んでいるのではないかと思ったお犬サマーは、玄関を開けるとすぐに飛びついてきた。その様子から、相当怖い思いをしたのだろうなと思った。生きていてよかった。再会できてよかった。
テレビやネットで繰り返される津波の映像に影響を受け、引きこもりがちになった。それでもまだひとりと1匹の生活でよかったのかもしれない。お犬サマーがいなければ、わたしはとっくに病んでいただろう。
心の支えがある人間は強くなれる。当時まだそれに気付いていなかったけれど、いまはお子サマーもいるしヘビメタもあるしやりたいこともたくさんあるし、うまいこと分散して気を紛らわせて生きられている。お犬サマーが亡くなった今、自分が強くなったと思うのは、そういうところにある。
お犬サマーが亡くなってさすがにポンコツっぷりが酷かったけれど、死ぬほどビート板キックしたら「心臓が悲鳴上げて死にそう!!!」と思って、ちょっと気分転換できたんだ。横浜時代と比べたら、ちょっとは図太くなれたんじゃないかね。
だからといってはアレだけど、安心して向こうにいってくれ。泣いては涙をぺろぺろしてくれた優しいお犬サマーのことだから、飼い主を心配してるんじゃないかと思う。でも、きっと大丈夫だから。モフモフできないのは寂しいけどさ、わたしがそっちに行くまでにはもう少し時間があるかもだから、どうか若い頃のように指先までモッフモフになって待ってておくれ。
至らないことばかり浮かんで、「もっとこうできたのでは」「別の何かができたのでは」と思ってしまうのだけれども、それもこれも自分のキャパが狭いのが理由。本当に申し訳ない。全然ダメな飼い主だったよ、本当にごめんね。そして、ずっと近くにいてくれてありがとうね。お犬サマーがいなければ、わたしはここまで生きてこれなかったと思うよ。ありがとうね。大好きだよ。
ウークイの夕暮れ時、西の空にお犬サマーがいました。びっくりしたよ。気をつけてあの世に帰りなね。 pic.twitter.com/eouJp9VxnY
— ユッキー@毎日ビール|グルメブロガーでスキルス胃がん (@yukipod) August 18, 2024