雑記

16m21d、新潟県五頭連山の親子遭難事故に思う。

2018年6月3日

GW最終日、新潟県阿賀野市の五頭連峰へ登山へ向かった父子の遭難ニュースを知った。

親子は2018年5月5日に山へ向かい、翌6日か7日には全国ニュースになっていた。そこから1週間、2週間と経過する中、どーでもいいニュースが世間を賑わし、気になっている親子遭難事故が届かない日が続いた。どーでもいいニュースの裏側で、実は親子が無事に発見され、衰弱はしていたものの経過は良好だった、的な話であればいいとずっと願っていた。神様はいなかった。

不明になった同月29日、捜索していたヘリコプターがそれらしき男性2名の遺体を発見した、という報道をキャッチした。遺体の損傷が激しく、すぐには特定できないという情報だったが、不明になる直前と同じ格好だったことから、おそらくは不明になっていた父子だろうと誰もが思っていた。心が重たくなった。

31日、身元が不明父子と判明した。死因は低体温症だったそうだ。父の体の上に、子がうつ伏せになる形で倒れていたとも。こういう時、それぞれの気持ちを考えてしまい、とてつもなく重たい気持ちになってしまう。せめてもの救いは、それぞれがバラバラになることなく、最期まで寄り添っていられたことだと、生きている人間は思ってしまう。しかしそれは絶望的な感情を増幅させてしまったのではないか。いや、単独で孤独を味わうよりも心の拠り所が近くにいるだけで全然違うのかもしれない。しかしそれは、私には経験のないことなので、本当のところは共感できないと思う。

親子が遭難した山を個人的に調査・操作しながら歩いた人の動画がまわってきた。一言に山と言っても、樹木が生い茂る山とそれがないのとでは大きく異なる。

下山した時刻には周囲は真っ暗で、懐中電灯がなければ本当に心細いと思う。シンプルに、怖い。

この事件を考えたときに、ひとつ思ったことがある。それは、自分のこどもに姿を重ねてしまうことだ。5年先の我が子が、遭難して行方不明になる恐怖。生涯のパートナーであり常に心の支えになるはずの夫も亡くしてしまう。この子の母とその家族は、いまどんな気持ちでいるのか... GWの山登りから楽しく帰ってくるはずだった父子が戻ってこないことへの不安と、日に日に増していく絶望感。残された者の非力さや無気力感。それでも生きていかねばならない、やるせなさ...

私がどうこう言ったところで、この親子遭難事故がなかったことにはできない。だけれども、山の恐ろしさや万が一の時に取るべき行動、入山前の事前準備などは学ぶことはできる。こどもが男児なので、彼自身がどのようにアクティブに生きていくかわからない。もしかしたらインドア派かもしれないし、想像している通りアウトドア派かもしれない。もし山が好きで登りたいという場合は、それとなく、だけどもしっかりと知識を与えてあげねばならない。これは山だからではなく、海でも川でも日常生活、学校生活、社会生活、いかなる場合にも言えることだ。

産後、ふえーふえー弱々しく泣く子に思った「100点じゃなくていいから、死なせない」という最低限の子育てを思い出した。私のような接点のない人間でさえ、衝撃の強い事故だった。寒かったでしょう。暗くて怖かったでしょう。どちらかが先に亡くなったとすれば、後悔や懺悔、恐怖など避けに襲いかかってくる感情に絶望的になっていたかもしれない。家に帰ってお母さんの温かいご飯を食べて、布団に包まりたかったろうな。そう考えると、どうしてもやり切れないのです。どうしようもなく辛い。亡くなられたお二方のご冥福をお祈りいたします。

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ユッキー

北海道出身の沖縄移住ブロガー。食べ飲み歩きブログ「毎日ビール.jp」や、雑記ブログ「毎日ノンアル.net」を運営中。1匹&1児のカーチャン。2023年からスキルス胃がんサバイバーとして「5年生存率を上げるブログ」を開始。

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